「明治大正期の理数授業についての講演会」報告
「明治大正期の理数授業についての講演会」の報告です。
直前のご案内にも関わらず、参加総数14人、京都や広島からも来て下さり、また、兵庫教育大学の大学院生も6人参加して下さいました。とても注目度の高い講演でした。
新潟大学名誉教授小林昭三先生に、「明治大正期の理数授業について」ご講演いただきました。小林先生は明治期の高等小学校の生徒の理科筆記帳を研究しておられます。高等小学校は,時代によって変わりますが、尋常小学校4年卒業後、または6年終了後に入学するもので、2年から4年学んでいたようです。今の中学2年生くらいまでの学校です。
「明治理数授業筆記の網羅的探索とその真相・価値を解明して現代的に甦らせる包括的研究」では、全国35都道府県を調査して来られたということで、かなりの数の「理科筆記」つまり生徒の自筆ノートを調査しておられます。
「明治大正期の理数授業筆記や教案で探る能動学習法の源流・価値とその現代的再構成」
日本では、明治初期、イギリスのロスコウの教科書を翻訳したものが多く使われていました。18世紀末、イギリスの化学学会長アームストロングがロシアのメンデレエフの周期表を高く評価し、王認会館(Royal Institution)におけるファラデー講演に招聘したということです。周期律表により理論的に推測される性質を持つ元素を、実験を工夫して探した結果、予想通りの性質をもつ元素が発見され、その威力は,当時の科学界から大きな反響があったということです。ロスコウは、メンデレフの理論を活用し、多くの成果を挙げた化学者です。明治時代の初め、この時代の実験の有用性を身をもって体験した当代一流の学者のもとに行き、その著書を教科書として日本の小学校教育で使っていたということは、実に驚くべきことです。
明治19年、文部大臣森有礼が教育制度の一大改革を実施、小学校令で、「理科」が新設され、教科書検定制度が始まりました。それまでの「科学教育」から大きく路線変更したと言えます。小林先生の当時の生徒のノートを調べる研究から、この小学校令以後も、検定教科書を使わない授業が根強く行われていたことがわかったということです。ノートの内容を見れば、どの教科書を使用したか、わかるのです。
翌日、兵庫教育大学図書館内にある、教材文化資料館に行きました。そこには明治時代の高等小学校の生徒が残した理科のノートが4年間分残されていました。これは、学校名、年次などがわかる、第一級の資料でした。この生徒がどのような授業を受けたか、全容がわかるのです。それにしても、この毛筆で書かれた和綴じの「理科筆記」(ノート)の美しいこと、毛筆で書いたとは思えない精緻な図にも驚きました。
空き家対策特別措置法が施行されると、古い屋敷や蔵に所蔵されている文書が家ごと廃棄される可能性があります。貴重な歴史資料を保護し活用することが、急務ではないかと、今回の講演を通じて強く思いました。
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